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暑いので、涼し気な水気の情景
メーカーが推奨する方法は、水に見立てた透明な樹脂を流し込む事でありますが、漏れ止めなど準備は大変でもあり、結構作業が重たい。中学の学生服の入っていた頑丈な箱に線路を敷いて小形レイアウトを作ろうとした際に、池の作りとしてやってみた技法。
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想ったより良い具合に出来ます。
当時は透明プラ板を買うおカネすらケチって、台所のラップの幕を張ってみた。最初はピンと平面状に張れていてもやがて緩んでしわが少し。透明感はばっちりで、忍野八海のような湧き水の名所のようでした。今回は15年くらい前に、CDキャリングケース内に作るパイクのために同様の構造で製作。色合いが重要だと思われる。樹脂を流すより軽量で手軽な方法。透明スチロール板は、お惣菜の入ったトレーを使う手もあります。
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テニスコートの次に地形作り
地形の起伏は、発泡スチロールを使います。
新しく買う必要はほとんどなく、個人経営の電気屋さんなどでは、製品の緩衝材として発泡スチロールが廃材として出たりしますので、少量ならお願いして分けてもらうとよいです。魚屋さんでも手に入る筈ですが、ニオイが取れないのでよした方が良いです。
◆ 蒲郡線と西尾線の末端区間の存続のために、西尾市と蒲郡市が協力して取り組んでいます。名鉄5000形以降の(Old)SR車
での装いが印象的だったツートンカラーの旧特急色が、西尾市制70周年を記念して 6000形に施され、西蒲線で走行をはじめました。
この旧特急色の初 お目見えは 昭和26年の3850形(模型写真の旧塗色右側の車輛)からで、その4両編成版ともいうべき3900形の
第4編成にて、走行機器等の各種テストをおこなって、軽量セミモノコックボディー カルダンドライブの新性能車、ラビットライナー旧5000形の登場へとつながってゆきます。他の車種より早く駅についてしまうために、定刻前に発車せぬよう異例の注意喚起が出ました。
その後、増結用に増備された5200形までは、冷房装置がありませんでしたが、5200形の前面デザイン及び基本窓配置を継承した5500形は日本初の特別料金のいらない冷房電車として好評を博しました。その好評ぶりに甘んじず、名鉄は7000形パノラマカー開発に着手します。
(模型写真左側の車輛が5500形。屋根上にずらりと並んだ四角い箱が冷房装置で、国鉄特急「こだま」とケーシングが違うが中身は同型)
この頃の5000番台特急車を総称して SR(スーパーロマンス)車 と呼んだりしておりました。5500形は冷房装置分の重量増加のため
1955年登場の5000形ほどの俊足ぶりにはなりませんでしたが、1961年登場のパノラマカーは、台車が空気ばねのモノに変わったほかは、
走り装置に関して5500形から大きな変更点がなく、併結しての運用もしばしば見られました。昭和末期の急行型として登場した
(New)SR車こと、5300形と5700形、さらにその先1987年登場の 1000形パノラマスーパーも床下機器の機能構成は変わらず、
特急に特別車と一般席車が出来た最初の頃はパノラマスーパーの一般席車両の製造前で、1000形と5500形との併結運用もありました。
パノラマカー登場の頃は、スカーレットはパノラマカーのみでしたが1965年頃より次の特急色(パノラマ車以外)への模索が始まり、
1970年頃にパノラマカーと同じ名鉄スカーレットに落ち着いて、「紅い名鉄電車」といったイメージが形成されてゆくのです。
5500形の中間車が全廃となって残る先頭車の動向に注目が集まった2003年に、復刻旧塗装となって(Old)SR車の終焉を飾りました。
6000形については、登場時より名鉄スカーレットの単色塗りで、白帯が入ったのも蒲郡線運用が最初です。今回のツートンカラーも
6000形車輌にとってはまさに最初、 そして最後の機会となるでしょう。