鉄道模型のクラブ N分科部

鉄道模型工作教室を活動の中心とする、趣味の鉄道模型指南会

 

Enjoy Hobby of Model Railroad

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◆ 蒲郡線と西尾線の末端区間の存続のために、西尾市と蒲郡市が協力して取り組んでいます。名鉄5000形以降の(Old)SR車

での装いが印象的だったツートンカラーの旧特急色が、西尾市制70周年を記念して 6000形に施され、西蒲線で走行をはじめました。

この旧特急色の初 お目見えは 昭和26年の3850形(故・足立健一氏製作のOJゲージ模型写真の旧塗色右側の車輛)からで、その4両編成版ともいうべき3900形の

第4編成にて、走行機器等の各種テストをおこなって、軽量セミモノコックボディー カルダンドライブの新性能車、ラビットライナー旧5000形の登場へとつながってゆきます。他の車種より早く駅についてしまうために、定刻前に発車せぬよう異例の注意喚起が出ました。

その後、増結用に増備された5200形までは、冷房装置がありませんでしたが、5200形の前面デザイン及び基本窓配置を継承した5500形は日本初の特別料金のいらない冷房電車として好評を博しました。その好評ぶりに甘んじず、名鉄は7000形パノラマカー開発に着手します。

(模型写真左側の車輛が5500形。屋根上にずらりと並んだ四角い箱が冷房装置で、国鉄特急「こだま」とケーシングが違うが中身は同型)

この頃の5000番台特急車を総称して SR(スーパーロマンス)車 と呼んだりしておりました。5500形は冷房装置分の重量増加のため

1955年登場の5000形ほどの俊足ぶりにはなりませんでしたが、1961年登場のパノラマカーは、台車が空気ばねのモノに変わったほかは、

走り装置に関して5500形から大きな変更点がなく、併結しての運用もしばしば見られました。昭和末期の急行型として登場した

(New)SR車こと、5300形と5700形、さらにその先1987年登場の 1000形パノラマスーパーも床下機器の機能構成は変わらず、

特急に特別車と一般席車が出来た最初の頃はパノラマスーパーの一般席車両の製造前で、1000形と5500形との併結運用もありました。

パノラマカー登場の頃は、スカーレットはパノラマカーのみでしたが1965年頃より次の特急色(パノラマ車以外)への模索が始まり、

1970年頃にパノラマカーと同じ名鉄スカーレットに落ち着いて、「紅い名鉄電車」といったイメージが形成されてゆくのです。

5500形の中間車が全廃となって残る先頭車の動向に注目が集まった2003年に、復刻旧塗装となって(Old)SR車の終焉を飾りました。

6000形については、登場時より名鉄スカーレットの単色塗りで、白帯が入ったのも蒲郡線運用が最初です。今回のツートンカラーも

6000形車輌にとってはまさに最初、 そして最後の機会となるでしょう。

 

 私このHPの管理人はかつてわが国で最も歴史の深いと云われるNMRC(名古屋模型鉄道クラブ)に所属して、模型作りを間近に感じながら倣うほかに、数多くの大人のモデラー大先輩らと知り合いになる機会を得て、現在でも少しですが交流を続けております。1970年代中盤に発刊されました水野良太郎氏の「鉄道模型入門」に於いては、海外にも知り合いの多い同氏の視点から、「日本は鉄道趣味というと子供のあそびの感覚でとらえられがちだが、海外(当時の先進国)ではもっと一般的に老若男女が普通に楽しむ趣味として普及している。」等と書かれております。

 この頃は女流棋士なる言葉も聞かれるようになりましたが、女流作家という言葉はずいぶん昔からありますし、斉藤由貴さんの演じる「人形作家」のドラマも見た事があります。Zガンダムのカミーユの名前の由来が、有名彫刻家の作品の一部が実は妻のカミーユの作品ではないかというニュースが流れてきたところからで、西洋では絵画や彫刻を女性がたしなむのは特殊な事ではない模様。ネイルアーティストの大半は女性だと思いますが、私らが子供のころは『手芸作家』という職業も女性が力を発揮しておりました。昭和47年の鉄道100年の頃発行された「機関車入門」の模型の紹介で、シーナリィの農家の建物は、手芸用品店で箱庭に使う商品を利用するとよい(当時は模型メーカーのプラ製品が存在しなかった。)と書かれております。小学校の図書館で借りた『戦艦大和のさいご』には、軍国主義のもとで組織内でも暴力が横行する様子が描かれていましたが、蒸気機関車時代の機関車整備やヤードハンプでのブレーキマン(坂を下る貨車のブレーキを掛けるために一日中坂を登らなければならない。)とか…。暴力の横行こそなくなったとは言え、鉄道職員の現場はとても大変で、『漢(おとこ)の職場』として女性を関わらせなかったのは、女性に対するいたわりのような優しさであった面があるような気がする。そういえば、ドイツ軍でもフランス軍でも女性兵士があって制服もいくつか規定されていたみたいだけれど、日本軍の正式な女性兵とその制服は、規定があったのでしょうか? 1970年前後の学生運動では、若い男性の長髪が流行って、手足の細い「女みたい」といわれるスタイルで、自由と豊かな生活を送りたいと歳の多い人たちの硬い考えに抗議した。(と、私は思っている。)男の職場であった鉄道職はJR誕生の頃から積極的に労働力として受け入れるようになりましたが、当初は休憩コーナーも、更衣室もトイレでさえ女性用の準備がなく、初めの頃の女性職員は耐えなければなりませんでした。国鉄当時2万キロあった鉄道ですから、鉄道職の現場で目立った話でしょうけれど、他の職種でも似たような女性用の用意の無い現場は存在すると考えられます。今は大分改善されてきたと思いますが、今度はキツイ仕事を終えて精神的な安らぎを感じるリラックス空間としての家庭の機能が失われて、妻の笑顔や子供の喜びも見られない中で経済追及の日々。若い女性がホストクラブにはまって借金してしまうのも気持ちの開放をする『家庭』の喪失が起因しているのではないでしょうか? また一方で、模型を扱う店舗のある都会や近郊の衛星都市では、自室(子供部屋)に友人を招き入れて(玩具で)遊ぶスタイルは珍しくなったともいわれるようです。『巣ごもり…』で少し注目を集めた模型作りでしたが、小中学生が組み立てるプラモデルの製作レベルでは、優劣を競わせる出来不出来を見出す以前の、丁寧な…とか、的確な…という作業の方法から体得の必要があり、子供が家庭内で、「接着剤や塗料をこぼしたりしないで扱って、使い終わったらふたを締める。とか、片付けをする。ことも 大切です。私らが子供の頃の雑誌には、素材からフル・スクラッチ(全自作)する中高年の工作記事もしばしばみられて目を見張ったものですが、工員が機械を使って仕事で作る量産モデルと個人が趣味で製作される模型では、その存在理由が根本で違います。前述の子供が組み立てたプラモデルに、メーカーサイドの広告用の大人が作った組立品を引き合いに出して、「こっちの方が…」なんて言うのは競いとして成立が難しく、スポーツでも草野球でプレ-を愉しむおっちゃんと、テレビの中継とかで観るプロの選手とを比べて評論しても仕方のない話。それはプロスポーツを取材するリポーターには不可欠な要素かもしれませんが、仲間としては…、刺繡の集まりの女性たちが工場で作られた店頭の飾りの中の刺繡と見かけだけ比べたりしない。ワンショットで成形するソフトビニールの怪獣人形とガンダムのプラモデルとでは、組立にかかる手間暇がまるで違うところを、経済的な切り口だけで比べられないのは、ファンなら仕方のない処と思います。鉄道模型の場合、ギアユニットを自分で組んだり、NMRCの創設メンバーの一人はモーターから自作されていたりして、それできちんと動かなければいけないですが、平成初期の小学六年生でも、江ノ電の連接構造を、雑誌記事を見せて「こんな具合…」と教えたら、自宅で作って来よって、問題なく走行するのだから、観ているこっちがうれしくなるってものです。東急の新世代路面電車300形は、連接構造ですし、岐阜では連接式バスもあったりで、消え去った技術とは言えぬ。 男の人は、こんなメカニックなところに興味を持ったり面白がったりするところが多いのですが、女の人は、化粧とかおしゃれとか、メカニックな事よりも着飾る⇒自分を良く見せる⇒観る人に良い印象を持ってもらうとかのイメージ戦略に興味があり、実際に良いブランドと認識すると香水とかハンドバッグでもそのブランドで生活を固めようとしたり致します。 言いたいのは、性別による気持ちの向く方向の違いをある程度男女ともに容認しないと、男性が暮らしづらい世の中になりそのうちに女性も暮らしづらくなる時代へと変わっていってしまうのだろうと思います。パーティー会場やらデートの現場などにスマホカメラが深く侵入して情報化を行ってしまうこれからの時代だからこそ、マリィアントワネットが生活ぶりのほとんどを公開していて本人は苦痛だったのでは?と想像されるように、何もかも白日の下に…。というのは精神的に安心がない。年頃の娘さんが、父親とか漢の兄弟に、自分の幼いころの失敗の映像を見られるのを嫌がる。「このくらいの年齢ならやって当たり前のレベルの失敗」でも、何度も繰り返し見てニコニコしているのは、成長した年ごろの娘さんには気に食わない。この感覚は、良し悪しではなく娘さんにとっても無理のない気持ちの動きだと、私は想像するのであります。



電車はポイントが確実に動いて定時運転が確保される。クルマの写真の左側は光岡自動車の限定生産『おろち』。ランボルギーニの『クワトロバルボーレ(=カウンタック)等のスーパーカーに少年時代に夢中になった世代には、興味の魅かれるスーパーカー路線の一台。スタイルはともかく時速300㎞以上で走るまでの性能は持ち合わせない。でも、「格好が良いのと性能面で優れているのは別だ!という考えが日本には昔からあって、関西好きの旧友は「天は二物を与えない。(顔の良い奴には才能に欠ける…?‼みたいな…)」等とよく言っていたものです。しかし、グローバル化に臨むときには、格好良さと性能の良さはある程度両立しないと…。って理屈になった時、男性は欧米人に敵わないが女の子のカワイイ魅力は欧米で十分通用するだろうというのが、現代の日本文化の海外戦略であるような気がいたします。一方、車の右写真は、ルパン三世『カリオストロの城』にて冒頭に、クラリスがカリオストロ城から逃げるときに使ったシトロエン2CVの実車(沿えたイラストは自筆の取り込みです)カーチェイスを繰り広げるルパンの愛車は『ソラマメ・ルパン』と称される頃のフィアット500で、レバーでエンジンが後方にせり出して、強制空冷式となる。実際にはあの映画のような走りはできないとしても、何となく違和感なく見てしまうのは演出のなせる業。蒸気機関車で『門鉄デフ』っていうのがありますが、あれは『門司鉄道局タイプデフレクター』で、門司鉄道局の独自改造で取り付けていた除煙板なのです。年度末に車輛の配置変更の際に、門司鉄道局から転出して会津で活躍(C11が有名でした)したり九州で活躍したりしておりました。こういったやり方が、模型のモビルスーツの戦地でのオリジナル仕様の改造機体の考え方のもとになっていると思います。だって、アニメ人気は、『ヤマト』『銀鉄999』『ガンダム』と移り変わりますでしょ。『カウンタック』でも『おろち』でも、ステータスを加えてみるから、例えば格好いい青年ドライバーの助手席に、ふくよかで化粧もしないジャージ姿のさえない女の子がニコニコ乗っていたら、プライドを揺さぶられて穏やかでいられないのは、男性よりむしろ奇麗なお嬢さんの方でしょう。「あの方(青年ドライバー)は、あなたにはふさわしくない‼‼」と言ってやりたくてむずむずしてしまうのです。1970年代の演劇界や映画界で、「男女の友情は成立するのか?」と議論されたことがありますが、女性の社会進出が進んで男性と同様に普通に仕事を進めていこうとする現代では、「成立するか…」ではなく「成立できないといけません」という話だと思います。「職場の仲間」というのはある意味「交友関係に近いものがある」という事を考えると、ジャージ姿でスーパーカーに乗った小太りの女の子にいちいち目くじらを立ててはいけないのじゃないですか? 女子も三人集まればコイバナに話が弾んでもむしろ健全な様子だとは思いますが、攻撃集団になっては困りものですよね。 嫁と姑(よめとしゅうとめ)のいさかいは昔から話を聞きますけれど、女性同士のけんかには若い男性は介入しづらいように思いますから。


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