☆小半径ユニトラックの発売予定の予告は、実はポケットライン登場の頃に庵として挙がった形跡があり、Bトレインの製品登場と路面電車のNモデルの製品化があって、ようやく小半径ユニトラックの線路発売になり、ポイントまで発売になるという、1980年代当時からはびっくりするような充実ぶりと言えるかもしれません。 ナローゲージのプレハブ線路(道床付きの組線路の事)は、永いことTomix の東京ディズニーランド開業時に発売になった『ウェスタンリバー鉄道』のセットに入っていたものが唯一でありましたが、猫屋線シリーズの人気も手伝って、ユニトラックにも PECO の一員のサドルタンクの製品化に合わせてナロー用が登場したことは、ナローゲージを愉しんでこられた方々はご存じと思います。 ☆私自身は、レイアウト製作を志向していてユニトラックの新発売の前の時代に、カタログにて『固定式線路』として紹介されている、『アトラス』と同じ規格の組線路を、フレキシブルレールと混用でよく使っていて、ユニトラックの特性で既存の固定式線路とつなげられるところに大きな魅力を感じての購入でした。エイダイナイン(エイダイは倒産し、学研が金型を引き継いで発売。やがて学研は鉄道模型の取り扱いをやめ、製品消滅)のレールラインナップに、『アダプターレール』と称する他社線路接続用の線路があり、Tomix 線路とKATO(当時は関水金属)の固定式線路とを繋げようと、2~3回チャレンジした思い出もあります。 ナローゲージに於いても同様で、すでに PECO やシノハラのナロー用線路で情景つきセクションなどをいくつか製作してきたファンには、真新しいグレー道床のユニトラックは、よそよそしい感覚なのではないかと思います。 ☆鉄コレのナローゲージ『猫屋線』シリーズの購入者は、好調な走行性能で展示運転の際のストレスが少ない(N用のカプラーも扱いやすい)処から、ナローにある程度親しみのあるベテランが、息抜きの感覚で買い求める調子で売り上げを伸ばした具合で、NMRCのナロー幹事になられた K さんが、「協三製の動態ナロー蒸機より、(ドイツの)コッペルを走らせて呉れよ!」という具合に、井笠の ホジ12 などの真鍮キットを組もうという考えは捨てずに、当面の公開運転をこなすのにストレスなく楽しみやすい猫屋線アイテムを買い求めておりました。1980年代のナローレイアウトの傑作『思川(おもいがわ)鉄道』も、草むした、ひなびた感じの線路上を、ゴトゴトと走る様子が想像されて、顔がほころぶというもので、故・白井さまとナローゲージモジュールで車輌を走らせて、『思川鉄道』にあったような情景再現に、「タマらんねぇ!」と微笑んで愉しむ。 そのようにある程度の完成域に達している愉しみ具合に、「そっち(フレキシブルレール)じゃなくて、こっち(ナローのユニトラック)でしょ!」なぁんてケチをつけられた感覚を与える売り込み方をしては、折角に開発した製品の将来を駄目にしてしまいます。「わざわざ作らなくても、買えばいいじゃん!」みたいな考えは、精巧な作り込みをするナローマニアには、喜ばれません。 ☆ベテランが既存のナロー車輌のブラスキットを棄て去ることなく、プラスチックのマスプロ(量産品の事)猫屋線シリーズを入手し、共存させるように、ナローのフレキレールとナローのユニトラックを共存させてそれぞれの組み合わせで愉しみを拡げる方向に向かわなければ、共倒れのちぢみ方向に進みかねない。上記の考えで、ナローの線路を、ユニトラック製品を安易に買い求めることをせず、ユニトラックにつなげられるナロー線路を、情景モデル仕様にて作り始めました。予算を組んでお金を使う(予算の執行)といった、単純な行動では、動物に与える栄養剤ではないのですから、趣味趣向の世界で効果を疑問視されても仕方がない。先の故・白井さまのほほえみは、猫屋線の新製品の追っかけでは引き出せないのです。 実際、新幹線好きの小学生に、日本の電車特急の始祖たる、151系『こだま』の特ロ『パーラーカー』の話をしても、丸っきり聞く耳を持ってくれなかったりしますから、ベテラン愛好家の皆さん! これは他人事ではありませんよ!
小学4年生くらいから入会できる との、鉄道模型のクラブとしては特殊な様式で活動を始めて十年ほど経過しました。かつて、当クラブに所属してさまざまに模型作りを経験した小中学生も、現在の居場所で成人年齢に達しようとしています。恋人と青春を謳歌する時期と思えば、わざわざ模型のクラブ活動への声かけも 野暮天だとも思うのですが、年に一~二度、懐かしく当時の仲間にあいつつ模型の話題で盛り上がるひと時があってもよいのかも…。そのような着想で、かつてこのクラブの工作教室で模型作りをした『OBの会』の結成を、今年度に行なおうと思います。参加も希望せず、関わりたくないお方もおいでかもしれませんので、OB会としての集まり(Nゲージの運転会企画も併せる場合在り/年少ファン含まず)に関するご連絡が欲しい方は、所属当時にお配りしていた会報に記載の住所あてに、ご自身のご住所氏名と、連絡希望なさる旨お書き添えのうえ、お手紙またはお葉書をお送り下さい。折り返しご案内を送らせていただきます。資格は20歳以上です。現在会員の成人の方は、今のままで連絡をさせていただきます。。
◆ 蒲郡線と西尾線の末端区間の存続のために、西尾市と蒲郡市が協力して取り組んでいます。名鉄5000形以降の(Old)SR車
での装いが印象的だったツートンカラーの旧特急色が、西尾市制70周年を記念して 6000形に施され、西蒲線で走行をはじめました。
この旧特急色の初 お目見えは 昭和26年の3850形(故・足立健一氏製作のOJゲージ模型写真の旧塗色右側の車輛)からで、その4両編成版ともいうべき3900形の
第4編成にて、走行機器等の各種テストをおこなって、軽量セミモノコックボディー カルダンドライブの新性能車、ラビットライナー旧5000形の登場へとつながってゆきます。他の車種より早く駅についてしまうために、定刻前に発車せぬよう異例の注意喚起が出ました。
その後、増結用に増備された5200形までは、冷房装置がありませんでしたが、5200形の前面デザイン及び基本窓配置を継承した5500形は日本初の特別料金のいらない冷房電車として好評を博しました。その好評ぶりに甘んじず、名鉄は7000形パノラマカー開発に着手します。
(模型写真左側の車輛が5500形。屋根上にずらりと並んだ四角い箱が冷房装置で、国鉄特急「こだま」とケーシングが違うが中身は同型)
この頃の5000番台特急車を総称して SR(スーパーロマンス)車 と呼んだりしておりました。5500形は冷房装置分の重量増加のため
1955年登場の5000形ほどの俊足ぶりにはなりませんでしたが、1961年登場のパノラマカーは、台車が空気ばねのモノに変わったほかは、
走り装置に関して5500形から大きな変更点がなく、併結しての運用もしばしば見られました。昭和末期の急行型として登場した
(New)SR車こと、5300形と5700形、さらにその先1987年登場の 1000形パノラマスーパーも床下機器の機能構成は変わらず、
特急に特別車と一般席車が出来た最初の頃はパノラマスーパーの一般席車両の製造前で、1000形と5500形との併結運用もありました。
パノラマカー登場の頃は、スカーレットはパノラマカーのみでしたが1965年頃より次の特急色(パノラマ車以外)への模索が始まり、
1970年頃にパノラマカーと同じ名鉄スカーレットに落ち着いて、「紅い名鉄電車」といったイメージが形成されてゆくのです。
5500形の中間車が全廃となって残る先頭車の動向に注目が集まった2003年に、復刻旧塗装となって(Old)SR車の終焉を飾りました。
6000形については、登場時より名鉄スカーレットの単色塗りで、白帯が入ったのも蒲郡線運用が最初です。今回のツートンカラーも
6000形車輌にとってはまさに最初、 そして最後の機会となるでしょう。
クラブ活動の場は、工場の生産現場とは異なります。趣味のクラブ活動で物品の消費は伴いますが金銭経済の成長はありません。
当クラブは製品の販売あっせんなどいたしません。金銭的なもうけを目的としないから、非営利のマニアゆえのクラブです。









