かつて、地元住民ゆえにお盆休みや正月休みには、親戚で集まって、叔父や叔母のおとなのはなしにも耳を傾けた事もあります。ある叔父は、連れ添いの実家が四国なので、四国の実家に酒豪ぞろいで付き合って飲むうちにお酒に強くなったとか、今一人の叔父はアルコールそのものを体質が受け付けず、丸っきり飲酒ができないという。その息子さんの私のいとこは一時カクテルづくりに凝ったとか話を聞いたりした。一時の親せきの結婚式ラッシュももう昔語りになってしまった。九州の人もお酒が好きのように思ってしまうのは、松本零士漫画にひんぱんに『美少年』というラベルの一升瓶が登場するが、エメラルダスの原作マンガに登場するハーロックの親友の大山トチローは、お酒はめったに口にしないようでとても弱い描写があったりする。『マクロス』でロイ先輩が飲むシーンがあったように思いますが、時期の近い『ボトムズ』で、クメンで傭兵になったキリコキュービィーは、バニラズカフェでお酒を薦められても「兵士は敵襲に備えてお酒は飲まない。珈琲をくれ。」というセリフがある。アニメより先に傭兵をマンガで描いた(と思う)新谷かおる氏の『エリア88』では、主人公の基地『エリア88』をメインに戦場写真家をまじえてストーリィが進行するが、サブキャラのひとりの戦闘機に同乗したカメラマンが、追尾ミサイルにやられて絶命してしまう話がある。後方で放たれた追尾ミサイルを振り切ろうとして、最大推力で急上昇を掛ける。パイロットの血の気は背中に押され、眼は充血して時には失神すると言っていたように思いますが、振り切ることができずに撃墜されてしまいます。第二次大戦中、2時間の空襲で2万人が亡くなった…とかの話も聞きますが、バクダンを落とすB29の飛ぶ、高度一万メートルには日本の戦闘機が到達できず、実用化の目途のたったロケットエンジンを使ってB29の上まで飛び上がって、グライダー式に滑空しながらB29を迎撃する計画で、試作機『秋水』を造りテスト飛行まで行ったものの、開発は間に合わずに敗戦を迎えた。ロケットでの急上昇の際にパイロットに何かあったのか、飛び立った試作機は戻って来なかったそうな。 NMRCの例会の後で、お決まりのアフター例会として居酒屋に入っての飲み会が催され、設立50年を過ぎたあたりからは幹事会も兼ねるようになっていたから会の運営を知るうえではなるべくの出席が暗黙に求められる。科学館の改装が終わって暫く、駅前の小さな居酒屋にアフター参加の会員が多人数で訪れた。毎回のアフターはその店へよるのが定番になっていたが、日曜に調理人が一人しかいなかった日にあたってしまって、注文に調理が間に合わずに、私に年の近い幹事成りたての会員がクレームをつけて、すったもんだしたことがあった。お店の従業員の人数によっては、お客さんの人数制限も考えなければならないかもしれないが、自分たちのクラブ会員の側も、スタッフの人数を観て察して入店を遠慮し、別店舗へ向かうべきだったかもしれない。長いすったもんだはしこりを生んで、その居酒屋近くの会場での例会は、(関連は定かではないが)実施されなくなってしまった。もめごとの解決は自己主張を強く言って聞かせるだけでは解決が難しい。特に自分の主張こそが常識的で守られるのが当然だと思っているうちは、物別れの可能性も高いものでしょう。もし、穏便に和解できていたらその後もその駅前での例会実施ができたかもしれないと思うと、惜しい気持ちも生まれてくる。私はどちらかというとお呼ばれ専門の具合で、宴会は苦手なほうでありまして、お酒の席そのものに慣れがない。親類も不幸が続いて集まる機会もなくなった。クレームをつけた仕切り屋の人気ある某会員と違って、(宴会では)無口な自分は飲食の場のセッティングや盛り上げは、荷が重くて仕方がない。キリコはあれで不死身だからよいけど、普通の無口で大人しい奴はアストラギウス銀河では何度も死んでしまうものかもしれない。ナロー仲間の4名で、お花見宴会をした5年位前が最後の模型仲間の宴会でした。今でも、宴会で幹事会はやりたいなどとは思わない。あの時自分一人でも遠慮して帰るべきだったかもしれない。
◆ 蒲郡線と西尾線の末端区間の存続のために、西尾市と蒲郡市が協力して取り組んでいます。名鉄5000形以降の(Old)SR車
での装いが印象的だったツートンカラーの旧特急色が、西尾市制70周年を記念して 6000形に施され、西蒲線で走行をはじめました。
この旧特急色の初 お目見えは 昭和26年の3850形(故・足立健一氏製作のOJゲージ模型写真の旧塗色右側の車輛)からで、その4両編成版ともいうべき3900形の
第4編成にて、走行機器等の各種テストをおこなって、軽量セミモノコックボディー カルダンドライブの新性能車、ラビットライナー旧5000形の登場へとつながってゆきます。他の車種より早く駅についてしまうために、定刻前に発車せぬよう異例の注意喚起が出ました。
その後、増結用に増備された5200形までは、冷房装置がありませんでしたが、5200形の前面デザイン及び基本窓配置を継承した5500形は日本初の特別料金のいらない冷房電車として好評を博しました。その好評ぶりに甘んじず、名鉄は7000形パノラマカー開発に着手します。
(模型写真左側の車輛が5500形。屋根上にずらりと並んだ四角い箱が冷房装置で、国鉄特急「こだま」とケーシングが違うが中身は同型)
この頃の5000番台特急車を総称して SR(スーパーロマンス)車 と呼んだりしておりました。5500形は冷房装置分の重量増加のため
1955年登場の5000形ほどの俊足ぶりにはなりませんでしたが、1961年登場のパノラマカーは、台車が空気ばねのモノに変わったほかは、
走り装置に関して5500形から大きな変更点がなく、併結しての運用もしばしば見られました。昭和末期の急行型として登場した
(New)SR車こと、5300形と5700形、さらにその先1987年登場の 1000形パノラマスーパーも床下機器の機能構成は変わらず、
特急に特別車と一般席車が出来た最初の頃はパノラマスーパーの一般席車両の製造前で、1000形と5500形との併結運用もありました。
パノラマカー登場の頃は、スカーレットはパノラマカーのみでしたが1965年頃より次の特急色(パノラマ車以外)への模索が始まり、
1970年頃にパノラマカーと同じ名鉄スカーレットに落ち着いて、「紅い名鉄電車」といったイメージが形成されてゆくのです。
5500形の中間車が全廃となって残る先頭車の動向に注目が集まった2003年に、復刻旧塗装となって(Old)SR車の終焉を飾りました。
6000形については、登場時より名鉄スカーレットの単色塗りで、白帯が入ったのも蒲郡線運用が最初です。今回のツートンカラーも
6000形車輌にとってはまさに最初、 そして最後の機会となるでしょう。
私このHPの管理人はかつてわが国で最も歴史の深いと云われるNMRC(名古屋模型鉄道クラブ)に所属して、模型作りを間近に感じながら倣うほかに、数多くの大人のモデラー大先輩らと知り合いになる機会を得て、現在でも少しですが交流を続けております。1970年代中盤に発刊されました水野良太郎氏の「鉄道模型入門」に於いては、海外にも知り合いの多い同氏の視点から、「日本は鉄道趣味というと子供のあそびの感覚でとらえられがちだが、海外(当時の先進国)ではもっと一般的に老若男女が普通に楽しむ趣味として普及している。」等と書かれております。
この頃は女流棋士なる言葉も聞かれるようになりましたが、女流作家という言葉はずいぶん昔からありますし、斉藤由貴さんの演じる「人形作家」のドラマも見た事があります。Zガンダムのカミーユの名前の由来が、有名彫刻家の作品の一部が実は妻のカミーユの作品ではないかというニュースが流れてきたところからで、西洋では絵画や彫刻を女性がたしなむのは特殊な事ではない模様。ネイルアーティストの大半は女性だと思いますが、私らが子供のころは『手芸作家』という職業も女性が力を発揮しておりました。昭和47年の鉄道100年の頃発行された「機関車入門」の模型の紹介で、シーナリィの農家の建物は、手芸用品店で箱庭に使う商品を利用するとよい(当時は模型メーカーのプラ製品が存在しなかった。)と書かれており、手芸用品店に探しに入ったら、「男の子がウロウロするところじゃない。」と店員に叱られたんです。手芸教室の先生やいけ花の先生でも、男性がやっている場合を見かけますけれど、男女同権を謳うこれからの世でどう認識するか?格好良い男性的スポーツマンばかりを優遇して大丈夫なのか? その認識についてこれまでの常識を再考していただきたいと思います。
★運転部会(P.M.L.)設立の準備のために、7月6日は本宿学区市民Homeセッティングテスト及びアイテムの作動チェックを行いました。