その5

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 模型メーカーの夢見た C51の牽くつばめ

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 こどもの国の工作教室で、中村精密のC51を組立てた生徒さんが居ましたので、運転会の時に、

「牽かせる客車があるから持っておいで。」と、連絡して、運転会当日に、オールダブルルーフの

戦前の「つばめ」編成が、みごと走り回りました。

 客車は、多くの鉄道模型ファンが、「キングスホビー」という最近廃業したメーカーの高価な金属キットを

思い浮かべる人が多いと思いますが、今回の客車は、もっと時代の古い、中村精密のプラ客車キットを

組立てたものです。

 中村精密は、1980年代の初めごろからNゲージへの進出をはじめ、第一弾として登場したのが、

C51でした。客車のプラキットも併せて発売を開始しましたが、スハ32などもシングルルーフとダブル

ルーフの両方をラインナップし、ダブルルーフのみの客車も数多く、キット形式で発売しました。

 中村精密の金型を引き継いで、ハセガワモデモが、キットを組立てた形での完成品のセットで、

販売した時期があり、マイクロエースが矢継ぎ早に蒸気機関車の製品を送り出す頃は、モデモ製品

しか市場になくなっていましたので、其れしか知らない人も多いことでしょう。

 キングスホビー製品が高いのは、ダブルルーフの屋根のベンチレータを形式ごとに作り変えている

からで、ベンチレーターの間にある明かり窓も、やはり形式ごとの違いがありますが、中村精密の

キットは、あっさり部品を共通化して、全ての形式で同じ屋根部品を使っています。その為比較的

安価に製造できているわけです。もともとは、KATOがNゲージの製造を始めたとき、C50と一緒に

オハ31を発売したのですが、オロ30もオハニ31もすべて同じ屋根部品を流用しており、中村精密は

それに倣った形というわけです。ということは、厳密には実物通りではないわけですが、鉄道博物館

でお土産物として平気で売られており、そもそも車体にオハ31と表記が入ったころは、赤い帯は廃止

されていたので、もともとセミフリーのアイテムだったのですが、50年ロングセラーを続けています。

 今回のつばめ編成は、機芸出版社の「陸蒸気からひかりまで」の本の中、C53やEF53が牽引する

つばめ編成としてイラストがページを飾っているもので、学生時代C53が大好きだった私が、それに

牽かせる編成として製作したものです。

 マユ、スハニ31、スハ33、スロ34、これらは中村精密製品にそのものズバリが存在していたので、

すんなり揃いました。これに、同じ中村精密の通常客車から改造して3軸台車のスシ(食堂車)を製作し、

当時は展望車はマイテ49しかなかった時代でしたので、屋根を中村精密キットから持ってきて

ダブルルーフに変更して、針先でリベットを打ってマイテ39風のものを作って、編成完成したのは

1987年ごろの事です。実は中村精密の製品パッケージの一部には、今後のラインナップ予定が載っており

実際には発売に至らなかった、3軸食堂車や展望車も表記されていますから、今回のような編成を

製造メーカーが自社製品で実現することを夢見ていたと、考えられるわけです。

 画像で紹介している通り、中村精密のC51は、10輌編成の客車を牽いて勾配をもろともせずに

駆け上がります。現在、新品で手に入るワールド工芸のC51には、それだけの力はなく、加えて

客車がキングスホビー製品だった場合は、客車の重量が重く、平坦線でも2~3輌しか牽けないと

思われますので、勾配を駆け上がる様子は、中村精密製品だからできるわけです。

 期せずして、中村精密の経営陣が夢見たC51の牽く編成が、運転会で大活躍をする光景が実現

しました。C51を製作した生徒さんは、運転会終了まで何周も何周もエンドレスを周回させていました。

それに耐えうるこの堅牢さも、いかに愉しみを重視した優秀な製品であったかを、物語っているようです。

                                         2021/5/17