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模型鉄道の線路端
本を読むことは大切です。
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以前、N分科部の運転会に、40代の男性の模型
ファンが、運転を愉しんで行ったことがありまし
た。少年会員の紹介で、クラブを訪れてきたので
す。その人が、DD51の暖地型と耐寒型の違いを聞
かれて、「窓に丸いやつがついているのが耐寒型
。」などと、答えていました。『窓の丸いやつ』とは
旋回窓の事です。窓に付着する雪や氷を取り除く
ワイパーより強力な機構です。
まず、『旋回窓』という言葉が出てこないのと、
その役割について全く理解していないという事に
驚かされました。そして、「この部分はこういう名
称で、こういった役割がある。」という知識を、
全く吸収しようとしないでこれまでやってきたの
だろうと、思いました。
他の人に、文章や言葉で伝えようとするとき、
各部の名称は重要です。模型雑誌などをよく読ん
でいれば、自然と身についてきますが、やはり全
く読んでいないと、とんちんかんな言葉で話した
り書いたりして、うまく伝えられなかったり、恥
をかいたりするものです。
文章(紹介文)を書こうとすると、専門的な言
葉であろうと、知っていることの重要性に気づか
されます。
NMRCに入会したての頃、一時的に鉄道模型趣味
誌の購入を止めていたことがあり、例会記を書い
てくれと頼まれて、Oゲージの特異なスタイルの
古典蒸機について、名称がわからずに変な書き方
になってしまい、持参された愛好者に悪いことを
してしまった事があります。後にバックナンバー
で例会記を書いた月号を見てみると、「グラスホッ
パー」ときっちり出ており、雑誌を読まないとダ
メだと、痛感させられました。
また、或るクラブの幹事が蒸気動車のことを、
「蒸気気動車」と書いていて、「蒸気動車なんて
自分は小学生のころから知っているのに、この人
は、いい歳をして鉄道知識に乏しくて、鉄道模型
ファンをやっているのか。」と、怪訝な気持ちに
なったこともありました。
それもこれも、鉄道書を読んでいれば、問題に
ならなかった話です。最近は出版不況で、本屋さ
んも経営が苦しいと云われていますが、本を読ん
で知識を蓄えることは、今も変わらず大変重要だ
と思います。
鉄道模型が普及して、作らなくとも買って走ら
せて遊ぶことができるようになり、雑誌なんか買
わずとも個人的には楽しめる時代になりました。
豊かなコレクションを持つにはお金がものをいう
ので、鉄道模型知識に貧しくても経済的に余裕が
あれば、鉄道模型趣味人と声高に言えるのかもし
れません。電子ゲーム界がそうであるように、生
産メーカーが、遊び方愉しみ方を支配するように
主導していくようになるかもしれません。「メー
カーに遊ばせてもらっている?」私のような古い
人間の感覚ですと、あくまで遊びの主体は遊んで
いる人であり、自分のいいように自由に遊ぶのが
本来の姿だと思ってしまい、他人から遊び方をあ
れこれ指示されなければならないのは悲しい様子
のように思えてしまいます。
メーカーの会社組織に対して個人は小さな存在
ですので、意向もかき消されてしまいかねない…
だから、集団で活動するクラブも大切だと思いま
す。
作って愉しむやり方には、苦労もありますが、
その過程において知恵や知識がふんだんに盛り込
まれており、新鮮な発見があるところも面白みの
内なのです。
作る人が減ってきていると云われている鉄道模
型界ですが、それだからこそ、本を読むことの重
要性も、クラブの存在の重要性も、再認識してほ
しいものです。
(完) 18/11/24
◆ 蒲郡線と西尾線の末端区間の存続のために、西尾市と蒲郡市が協力して取り組んでいます。名鉄5000形以降の(Old)SR車
での装いが印象的だったツートンカラーの旧特急色が、西尾市制70周年を記念して 6000形に施され、西蒲線で走行をはじめました。
この旧特急色の初 お目見えは 昭和26年の3850形(模型写真の旧塗色右側の車輛)からで、その4両編成版ともいうべき3900形の
第4編成にて、走行機器等の各種テストをおこなって、軽量セミモノコックボディー カルダンドライブの新性能車、ラビットライナー旧5000形の登場へとつながってゆきます。他の車種より早く駅についてしまうために、定刻前に発車せぬよう異例の注意喚起が出ました。
その後、増結用に増備された5200形までは、冷房装置がありませんでしたが、5200形の前面デザイン及び基本窓配置を継承した5500形は日本初の特別料金のいらない冷房電車として好評を博しました。その好評ぶりに甘んじず、名鉄は7000形パノラマカー開発に着手します。
(模型写真左側の車輛が5500形。屋根上にずらりと並んだ四角い箱が冷房装置で、国鉄特急「こだま」とケーシングが違うが中身は同型)
この頃の5000番台特急車を総称して SR(スーパーロマンス)車 と呼んだりしておりました。5500形は冷房装置分の重量増加のため
1955年登場の5000形ほどの俊足ぶりにはなりませんでしたが、1961年登場のパノラマカーは、台車が空気ばねのモノに変わったほかは、
走り装置に関して5500形から大きな変更点がなく、併結しての運用もしばしば見られました。昭和末期の急行型として登場した
(New)SR車こと、5300形と5700形、さらにその先1987年登場の 1000形パノラマスーパーも床下機器の機能構成は変わらず、
特急に特別車と一般席車が出来た最初の頃はパノラマスーパーの一般席車両の製造前で、1000形と5500形との併結運用もありました。
パノラマカー登場の頃は、スカーレットはパノラマカーのみでしたが1965年頃より次の特急色(パノラマ車以外)への模索が始まり、
1970年頃にパノラマカーと同じ名鉄スカーレットに落ち着いて、「紅い名鉄電車」といったイメージが形成されてゆくのです。
5500形の中間車が全廃となって残る先頭車の動向に注目が集まった2003年に、復刻旧塗装となって(Old)SR車の終焉を飾りました。
6000形については、登場時より名鉄スカーレットの単色塗りで、白帯が入ったのも蒲郡線運用が最初です。今回のツートンカラーも
6000形車輌にとってはまさに最初、 そして最後の機会となるでしょう。