昨年度、新入の会員さんには、岡崎市電を製作してもらっています。 このHPの冒頭に、博物館にて「解説のできるレベル」という話を書いていますが、同時に、博物館にて展示のアイテムを揃えるという話ではない…。とも、書かせてもらっています。 昔、銚子電鉄のデキ3形について、70年代後半のTMSの16番作品のカラー写真が、作者の好みでマルーンに塗られていたことで、私は実機がマルーンだと勘違いしていましたが、趣味で作る模型である以上は、作者である子供たちには実物はこういう色であったときちんと説明はしますが、「好みの色に塗ってよい。」と教えています。雑誌のデキ3形よりも前の記事でも、凸電を好まれる方は多い、という記事に加えて、実機は黒でも自分の好みでぶどう色に塗ったという例が、紹介されています。 走行させるレイアウトが、その急曲線も含めてフリーデザインであり、クラブで集まって走行させる以上は、在来線形でもミュースカイとC51のけん引するWルーフの特急「燕」が複線区間で離合しても、仕方がないことで、それを禁止する訳にはいかないのが、趣味のクラブの事情であるからには、むしろそういったところを愉しむくらいのおおらかさが、会の雰囲気として必要であろうと想っています。模型運転を披露するからといって、それが実物の事を教えてやる模型にするとこうなるのだ!などという押しつけは、考えにありません。それをやろうとするなら、子供には荷が重い話ですし、オトナだってできる人は限られてくるでしょう。そもそも、そういうことが本当に必要ならば、日頃から研究にいそしむ学芸員が自分でやればよい話で、我々のように趣味で模型を愉しむ者が、学芸員の代役としてしゃしゃり出る必要など無い話でしょう。なまじ対抗意識など持つからいけない。実物に関する知識でも、本人が楽しみで調べて、それを同好の知り合いに話してまた愉しむ…。それでいいのじゃないのかしら。 当会は、博物館に提供する模型を作ろうということではありません。それは模型メーカーなり、「模型製作所」というお店がやればよいことだ。 岡崎市電の作例でも、実物はテールランプがひとつだのに、模型ではふたつ付いていて、「違うじゃないか」というのは簡単なことだ。最近新製される路面電車のほとんどは、テールランプは二つ付いているし、名鉄でも晩年に改装された旧型の路面電車も、テールランプは二つに増設されています。宇都宮で話題のLRTはじめ、地元では、豊橋のほっトラムが活躍しています。子供に限らず、この次にほっトラムを造ったら、同居させて走らせたくなるのが、作者の気持ちではないのか?そうしたら、「岡崎市電が廃車されずに残っていたら…」とか、「車輛が他線に移って活躍を続けたら…。」という架空の想定で、自分なりの仕様にアレンジしたほうが、自分の模型としてふさわしい!そういう考えで、フリー化を許しているのです。材料費は公の世話になっていませんで、すべて実費という形ですから、尚更、博物館向けのサービス仕様に仕立てる必要などないのです。アレンジが、セオリーに沿っているかはチェックしたほうが良いと思います。例えばテールランプが5つも6つもついていたら、明らかに可笑しいじゃん! と指摘しますが、新製されてくる路面電車にあわせて2灯に増設するくらい、目くじらを立てる話ではないと思います。色も、もっとくすんだ緑色だったとか、確かに違うとは思いますが、車運車のク5000形、私が観た車両は朱色より色褪せてオレンジに近い色の車輛のほうが多かったような記憶があり、ピカピカの貨車が連なって走っていて、「本物通りだ!」というのも、時代を実体験した者からは、「軽く気安い…」と思われることは無いのかしら? ご理解いただけず、自分たちこそ教育指導者にふさわしいと、お考えになるのはご自由であるが、趣味趣向を攻撃なさるというのは、戦時下の「かくあるべし!」といった動きにつながりかねないイメージで、私は、そういうのは嫌いでできれば関わりたく無いと思う。本を教科書に、その通りに作ろうと努めるのは良いことだと思うものの、昔の雑誌に載った記事のように、作者の好みで、実機と違う色を塗るという、そのくらいのアレンジを許すおおらかさは、この先の時代のモデラーには、趣味活動の理念ではむしろ必要な事ではないのだろうかと、私は信じて活動しています。
◆ 蒲郡線と西尾線の末端区間の存続のために、西尾市と蒲郡市が協力して取り組んでいます。名鉄5000形以降の(Old)SR車
での装いが印象的だったツートンカラーの旧特急色が、西尾市制70周年を記念して 6000形に施され、西蒲線で走行をはじめました。
この旧特急色の初 お目見えは 昭和26年の3850形(模型写真の旧塗色右側の車輛)からで、その4両編成版ともいうべき3900形の
第4編成にて、走行機器等の各種テストをおこなって、軽量セミモノコックボディー カルダンドライブの新性能車、ラビットライナー旧5000形の登場へとつながってゆきます。他の車種より早く駅についてしまうために、定刻前に発車せぬよう異例の注意喚起が出ました。
その後、増結用に増備された5200形までは、冷房装置がありませんでしたが、5200形の前面デザイン及び基本窓配置を継承した5500形は日本初の特別料金のいらない冷房電車として好評を博しました。その好評ぶりに甘んじず、名鉄は7000形パノラマカー開発に着手します。
(模型写真左側の車輛が5500形。屋根上にずらりと並んだ四角い箱が冷房装置で、国鉄特急「こだま」とケーシングが違うが中身は同型)
この頃の5000番台特急車を総称して SR(スーパーロマンス)車 と呼んだりしておりました。5500形は冷房装置分の重量増加のため
1955年登場の5000形ほどの俊足ぶりにはなりませんでしたが、1961年登場のパノラマカーは、台車が空気ばねのモノに変わったほかは、
走り装置に関して5500形から大きな変更点がなく、併結しての運用もしばしば見られました。昭和末期の急行型として登場した
(New)SR車こと、5300形と5700形、さらにその先1987年登場の 1000形パノラマスーパーも床下機器の機能構成は変わらず、
特急に特別車と一般席車が出来た最初の頃はパノラマスーパーの一般席車両の製造前で、1000形と5500形との併結運用もありました。
パノラマカー登場の頃は、スカーレットはパノラマカーのみでしたが1965年頃より次の特急色(パノラマ車以外)への模索が始まり、
1970年頃にパノラマカーと同じ名鉄スカーレットに落ち着いて、「紅い名鉄電車」といったイメージが形成されてゆくのです。
5500形の中間車が全廃となって残る先頭車の動向に注目が集まった2003年に、復刻旧塗装となって(Old)SR車の終焉を飾りました。
6000形については、登場時より名鉄スカーレットの単色塗りで、白帯が入ったのも蒲郡線運用が最初です。今回のツートンカラーも
6000形車輌にとってはまさに最初、 そして最後の機会となるでしょう。