鉄道関連の番組には、お笑い系の芸人がよく登場する。芸能人で古くから鉄道模型を愛好する人は居ても、結構その趣味を大っぴらに(公表を)しないことの方が多い。昔(に限らず今も。というべきだろうけれど)鉄道職員の現場は大変厳しい処があり、雪の中でタブレットを通過しながら授受するといった、とても凍えそうな仕事ぶりも、蒸気機関車の趣味の本に出てくる。昔でいうちゃぶ台のある畳敷きの部屋は、「お茶の間」の愛称で親しまれる場所であるが、過酷な現場を離れてのんびりと見るテレビ番組の中で、登場する俳優は鉄道に関する現場の厳しさよりも、乗車するお客様の共感を呼びやすい旅情とか哀愁とか郷愁を、共有する方向にて番組制作を進めようとしていく、その結果でいくつもの、蒸気機関車の魅力をとらえた「さよなら蒸気機関車」とか、その後の「ローカル線の赤字廃止問題」を扱いつつも、沿線の美しい風景の中を走る列車の姿をとらえたテレビ番組を、少年期に多数視聴して感涙したのは、SLについてはアニメのブーム前夜、ヤマトのTV番人気が上昇してゆく中でローカル線のクローズアップがあったような感じ。例えば映画で、高倉健あたりは無口な様子が多く、鉄道の現場にはよく似合う感じが私にはしますが、氏は鉄道ファンというふうには見えません。市川さまとか、現代の鉄道好きタレントで、知識が豊富なタイプは、演技させる番組での使い方が難しくなるように思われます。厳しい現場を知っていると、演技の具合がどことなく嘘くさく(視聴者に)伝わってしまいそうですし、厳しさが嘘であるかの印象は実際の職員には受けが良くないところもあるかもしれません。「一生懸命働いているのに茶化して…。」という思いは、番組の印象を重たいものにしてしまいます。そこでいうと、最近の鉄道ものは制作者サイドにファンが加わって安定感があります。 お笑いタレントは番組中でも「地」にそった様子ですが、俳優のほうは、役どころの演技で鉄道番組出演となると、録画にせねば双方を生かすところが難しいように思います。鉄道ものは、専門家は「先生」の印象が強く、「先生の授業には工夫はあるでしょうけれど、演技は「うそ」を感じさせて良くない。台本作家は、登場人物を誰に演じてもらうのかを考えるうえで、役者に関して情報を欲する者であって、その役者になりたいわけではなく、漫画でも「ゴルゴ13」のモデルが「高倉健」であるという話ですが、しかし高倉健を離れてすっかりオリジナルキャラクターで、勿論描いている「さいとうたかお」氏だって、「ゴルゴのデューク」になりたいわけではない。スポーツの世界では有名選手にあこがれて…スタープレイヤーに自分もなりたいと、有名選手に自分の姿をなぞらえたりしましょうが、こと、模型とか漫画とか絵画は、「こういった品物を作りたい。」という具合に、品物が先に見られてまた「比較」されるものであって、作者は二の次であります。有名画家の書いた名画でも、既に故人の方は多くまた、亡くなった年代も様々で、でも残った絵画は時を越えて我々を楽しませてくれます。残念ながら、精密な模型作りは片手では難しいし、出来た模型でも、「片手で作ったものにしてはよくできました。」みたいにハンディーキャップを加味したことを申し添えないと、「作る苦労」の評価では厳しい思いをしてしまうかもしれません。健常者でも厳しい競争がありましょうから。私も決して自分の腕前が高いと思わないし、技術の進歩ですぐに他の新人に追い越されるものであります。芸術のセンスでも、中々に才能を磨くというのは大変でしょうし、モーツアルトの陰で消えていったサリエリのように、生前絶頂でも後で名が消えてしまった実例も多々あるものです。しかし、ダビンチの絵とモネやルノワールの絵と比較して「どっちが良い作品か」を決めるのが無意味なように、そこは、「お好みでいいのじゃないですか?」っていって順位を決めること自体が、「いらない話」になってしまうような気がしますし、第一そんな会話は面白くないと思います。「こんな素敵な、とか、こんな素晴らしい」とかの作品作りをしたいと思うのが、その道へと入門するきっかけになることは、子供でも大人でも普通にある事と思います。でも、あまりに出来の良い作品だと、「こんなのできっこないや」とあきらめてしまったりして、それぞれにとっつきやすそうな程度があると思います。新幹線でも、ちびっこには最初の一日にはよくても、次第に在来線などに興味が移り、いぶし銀のような味わいある模型に好みが変わる「(西)ドイツ鉄道模型マンガ集」にも出てきます。プロフェッショナルの作家で、趣味で盆栽とか模型作りをする人も、愉しい範囲で他人の評価を加味するかどうかは自分の裁量で決める、よく言うところの自己満足でよいではないでしょうか。それを見てもらうかどうか、非公表にしたいかどうかも、作者の気持ち。
◆ 蒲郡線と西尾線の末端区間の存続のために、西尾市と蒲郡市が協力して取り組んでいます。名鉄5000形以降の(Old)SR車
での装いが印象的だったツートンカラーの旧特急色が、西尾市制70周年を記念して 6000形に施され、西蒲線で走行をはじめました。
この旧特急色の初 お目見えは 昭和26年の3850形(故・足立健一氏製作のOJゲージ模型写真の旧塗色右側の車輛)からで、その4両編成版ともいうべき3900形の
第4編成にて、走行機器等の各種テストをおこなって、軽量セミモノコックボディー カルダンドライブの新性能車、ラビットライナー旧5000形の登場へとつながってゆきます。他の車種より早く駅についてしまうために、定刻前に発車せぬよう異例の注意喚起が出ました。
その後、増結用に増備された5200形までは、冷房装置がありませんでしたが、5200形の前面デザイン及び基本窓配置を継承した5500形は日本初の特別料金のいらない冷房電車として好評を博しました。その好評ぶりに甘んじず、名鉄は7000形パノラマカー開発に着手します。
(模型写真左側の車輛が5500形。屋根上にずらりと並んだ四角い箱が冷房装置で、国鉄特急「こだま」とケーシングが違うが中身は同型)
この頃の5000番台特急車を総称して SR(スーパーロマンス)車 と呼んだりしておりました。5500形は冷房装置分の重量増加のため
1955年登場の5000形ほどの俊足ぶりにはなりませんでしたが、1961年登場のパノラマカーは、台車が空気ばねのモノに変わったほかは、
走り装置に関して5500形から大きな変更点がなく、併結しての運用もしばしば見られました。昭和末期の急行型として登場した
(New)SR車こと、5300形と5700形、さらにその先1987年登場の 1000形パノラマスーパーも床下機器の機能構成は変わらず、
特急に特別車と一般席車が出来た最初の頃はパノラマスーパーの一般席車両の製造前で、1000形と5500形との併結運用もありました。
パノラマカー登場の頃は、スカーレットはパノラマカーのみでしたが1965年頃より次の特急色(パノラマ車以外)への模索が始まり、
1970年頃にパノラマカーと同じ名鉄スカーレットに落ち着いて、「紅い名鉄電車」といったイメージが形成されてゆくのです。
5500形の中間車が全廃となって残る先頭車の動向に注目が集まった2003年に、復刻旧塗装となって(Old)SR車の終焉を飾りました。
6000形については、登場時より名鉄スカーレットの単色塗りで、白帯が入ったのも蒲郡線運用が最初です。今回のツートンカラーも
6000形車輌にとってはまさに最初、 そして最後の機会となるでしょう。