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プラモデルの組み立ての基本
写真は、バンダイの 87年頃のモデル。足の接合面にパテを盛って継ぎ目けし(パーティングライン消し)を行っている。間接にポリキャップが使われ始めたころ。説明図にある通り、この後足の上の方へ工作をするとき、塗装を完了してからでないと、未塗装部分が残ってしまう。タミヤパテの発売が 1975年以降で、関節の多いガンプラでは大変時間がかかるために、パテ代わりに瞬間接着剤が使われ始めた。
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板状のキットの実例
鉄道模型プラキットでも、本当は先頭部の前面パーツと側板の継ぎ目は決して組み立てるもので、上の名鉄5500形は、パテを盛ってヤスリ整形後塗装して、下の同キットの継ぎ目を消してあるのがわかる。パテは自製で、瞬間接着剤はまだ高価だった為使っていない。
一体型ボディーならこの工程を省けるため、一体ボディーキットが好まれるが、板状キットと違って、側板・妻板部分で4方向にスライドする金型が必要になる。(そうしないと成形品を型から抜き出せない。)金型製造のコストが一気に跳ね上がって、商品価格を吊り上げます。 -
塗装後に組立のできる場合。
写真はフィルムカメラによる、故・井上大令氏製作の客車を撮影したもの。継ぎ目が構造上の境目で線が入っていても理屈が合う場合には、継ぎ目けしをしないし、塗装後に組み立てることもできる。この作品もパテは使っていないし、GMの客車キットもパテを使う必要が無ければ塗装後の組み立てもできる。特に、窓付けが楽になると思う。先のガンプラは、百式のメッキ仕様の製品開発において、ゲートカットの場所にメッキの穴ができるのを隠す構造設計を行うことで、パーティングライン消しの必要のない部品構成とした。勿論、金型は構造が込み入って製品価格を押し上げる。
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継ぎ目けしをして塗装したボディー
素材から鉄道車両のボディーを作る場合には、一体成型ボディーの状態まで自分で作る必要がある。四角四面の鉄道車両はまだ作れるが、自動車のモデルになると、飛行機のソリッドモデルのような木材や粘土、バルサ材を削って塊を彫刻する要領が比較的楽であろう。話題の3Dプリンターも、自動車モデルなどのほうが、本領を発揮できるのではないだろうか。
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価格決定は、売れ行き見込みのうえで。
『 L 特急 ひばり 』のパッケージは、バンダイが発売したNゲージサイズのプラモデルで、車輪までプラ製で走らせるには今の鉄コレより数段配慮が必要。左に写っている板状の部品が中身であり、未だ万歳マークといわれるバンダイの初期マークがついていて、1両あたり250円。後ろのドラムロ(ダンバインに登場)はガンダムに似た構成。初代ガンプラは300円だった。鉄道模型の扱いの無い模型屋さんに置いてもらえるので、生産数がケタ違いで、価格を抑えられる。たとえ名鉄5500形のキットが1~2 個余分に売れたとて、まるっきり及ぶものではない。Nゲージのプラモデルも、長続きしなかったのは伸び悩んだためかもしれない。
◆ 蒲郡線と西尾線の末端区間の存続のために、西尾市と蒲郡市が協力して取り組んでいます。名鉄5000形以降の(Old)SR車
での装いが印象的だったツートンカラーの旧特急色が、西尾市制70周年を記念して 6000形に施され、西蒲線で走行をはじめました。
この旧特急色の初 お目見えは 昭和26年の3850形(模型写真の旧塗色右側の車輛)からで、その4両編成版ともいうべき3900形の
第4編成にて、走行機器等の各種テストをおこなって、軽量セミモノコックボディー カルダンドライブの新性能車、ラビットライナー旧5000形の登場へとつながってゆきます。他の車種より早く駅についてしまうために、定刻前に発車せぬよう異例の注意喚起が出ました。
その後、増結用に増備された5200形までは、冷房装置がありませんでしたが、5200形の前面デザイン及び基本窓配置を継承した5500形は日本初の特別料金のいらない冷房電車として好評を博しました。その好評ぶりに甘んじず、名鉄は7000形パノラマカー開発に着手します。
(模型写真左側の車輛が5500形。屋根上にずらりと並んだ四角い箱が冷房装置で、国鉄特急「こだま」とケーシングが違うが中身は同型)
この頃の5000番台特急車を総称して SR(スーパーロマンス)車 と呼んだりしておりました。5500形は冷房装置分の重量増加のため
1955年登場の5000形ほどの俊足ぶりにはなりませんでしたが、1961年登場のパノラマカーは、台車が空気ばねのモノに変わったほかは、
走り装置に関して5500形から大きな変更点がなく、併結しての運用もしばしば見られました。昭和末期の急行型として登場した
(New)SR車こと、5300形と5700形、さらにその先1987年登場の 1000形パノラマスーパーも床下機器の機能構成は変わらず、
特急に特別車と一般席車が出来た最初の頃はパノラマスーパーの一般席車両の製造前で、1000形と5500形との併結運用もありました。
パノラマカー登場の頃は、スカーレットはパノラマカーのみでしたが1965年頃より次の特急色(パノラマ車以外)への模索が始まり、
1970年頃にパノラマカーと同じ名鉄スカーレットに落ち着いて、「紅い名鉄電車」といったイメージが形成されてゆくのです。
5500形の中間車が全廃となって残る先頭車の動向に注目が集まった2003年に、復刻旧塗装となって(Old)SR車の終焉を飾りました。
6000形については、登場時より名鉄スカーレットの単色塗りで、白帯が入ったのも蒲郡線運用が最初です。今回のツートンカラーも
6000形車輌にとってはまさに最初、 そして最後の機会となるでしょう。