ふつう、「飛行機になりたい」じゃなくて「パイロットになりたい」である。

 「グレンダイザー」のリメイク版(と、いうより新作の感じ))が放送前から話題を呼んでいる。アメリカやヨーロッパで作られるロボットものは、日本のように操縦者が乗り込んだりせず、ロボットそのものに意思や考えがある「ロボット生命体)として描かれることが多いらしい。日本の『SFロボットもの』といったジャンルでは、ほとんどが操縦者が乗り込むタイプで、番組タイトルに冠した主人公の搭乗機が優秀な性能を持っていたりするのですが、リアルロボットものの「ボトムズ」においては、軍のジープや戦車のように汎用機のアレンジを幾度か乗換えていくという、ヒーローメカを特定しない『型破り』を、おこなっている。高名なスポーツ選手等へのあこがれから、「〇〇さんみたいになりたい」と思うことはスタープレイヤーを興業の種とする重要な吸引力だけれど、新幹線や、F4AファントムⅡやコンコルドとかを羨望のまなざしで見るファンにとっては、新幹線やコンコルドになりたいとは思わず、その操縦者たる『運転士』や『パイロット』になりたいと思うのがファンの常道であろう。技術部のセンパイが、当時放映の「ザブングル」にて、メカの整備担当のコトセットがウォーカーマシンの図面をたくさん持っていたので、「いずれコトセットは、自分でウォーカーマシンを設計製作するのではないか?」というくらい、魔法少女モノやセーラーヒロインもので少女の変身願望を満たす番組は、「ヒロインになりたい!」と直接的だが、科学者になりたいとか一言で言っても、材料なのか、エンジンの仕組みなのか、交通工学なのか、茫漠たるジャンルがある訳で、科学者になろうとしてジャンルを決めるのではなく、結構はやい段階で気に入った事柄や得意とする方面の専門家を目指すという向上心によって、研究活動を好む科学者になってゆくのが道筋でありましょう。増して、物心つく前から鉄道図鑑ばかり見ていた鉄道好きの私では、愛好家の模型を扱う姿を見て「模型をやりたいからジャンルを選ぶ」ではなくて、もともと鉄道が好きな処へ来て、NMRCフェアで運転披露している大人たちを見て、「自分の好きなことで、ニコニコ顔で科学館にて社会貢献をしている!」その姿がもう大変に格好良かった。から、NMRCに入りたい!とか、ああいったオトナのファンにあこがれて「はやく大人になりたい」なんて思ったりしたのであって、「ドカベンの殿馬が好き」とか言ったって、「好き」と「成りたい」は違うのだし、即「殿馬になりたい」との発言に勝手に変換されて聞かれても迷惑至極である。年端のいかない子供は、新聞をめくっていて4コマ漫画とか広告写真を眺める。中部でシェアを握る新聞の漫画は「ほのぼの君(佃公彦氏)」だけど、「ほのぼの君になりたい」なんて思ったりしない! 好きなものになりたいなんて勝手な解釈はもうイヤガラセの領域である。ドカベンでいえば山田太郎がイワキの悪球打ちが得意だと気付くシーンとか、里中がアンダースロー投球の時に頭を振るので、体調に異変を起こして永く選手を続けられないと云われるエピソードなど印象に残っている。ロックコンサートなんかで首を振りたくっている観客を見るたびに、「健康被害はないのだろうか?」なんて思ったりしたのは、ドカベンにルーツがある訳です。もう、やたらと相手に牙をむく嫌がらせをする輩が身近にいるかと考えると、自身の生活環境にゾッとして絶望し、モチベーションがた落ち!キビシイことをいって気分的には発言者は満足を得ても、いわれた方は気分が下がって業績改善とは真逆の効果をもたらしてしまう。こういった動きに気づけない管理者が多い職場では、檄を飛ばしてもブラックイメージを増大させて、一時的には乗り切れても気持ちの上で将来への不安を大きくするのではなかろうか?強硬に推し進めている事柄に、理不尽を感じている虐げられた人々には、尊敬すべき上司というよりジャイアンのようなただの乱暴者に見えはしないか?熱意の空回りが起こす悲劇である。