電気自動車の製造メーカーで有名どころといえば、「テスラモータース」の名前が思い浮かぶ方も多いと思います。このお名前には、送電技術をめぐってエジソンらと競った科学者の名前であるとのこと。この「テスラ氏」は、軍部の依頼で「人工地震発生装置」の研究をしたとのうわさがあり、日本の地震災害も実はどこかの国が人工的に発生させたものだというデマが飛び交っていたと、某国営放送の「テスラ氏」の番組で採り上げていました。古くは「ルパン三世」の最初の映画で、敵役が地下原子力発電所を爆発(と、ルパンは読んだのだが)させて人工的に地震を発生させる場面が描かれていますが、爆発による揺れを引き起こす場合には、最初の一撃が大きく、揺れは収まっていく波形を示すもので、連続爆破をしても同じ断続的な波形となるのですが、東日本大震災では「長周期地震動」と言って、ゆらゆらと30秒くらい揺れが続きました。免震装置の機能した高層ビルの上の階のほうは揺れが増幅されて船に乗っているような感覚があったとか?ともかくも人工的に引き起こせる揺れのパターンとは明らかに違うものなのだそうであります。
◆ 蒲郡線と西尾線の末端区間の存続のために、西尾市と蒲郡市が協力して取り組んでいます。名鉄5000形以降の(Old)SR車
での装いが印象的だったツートンカラーの旧特急色が、西尾市制70周年を記念して 6000形に施され、西蒲線で走行をはじめました。
この旧特急色の初 お目見えは 昭和26年の3850形(模型写真の旧塗色右側の車輛)からで、その4両編成版ともいうべき3900形の
第4編成にて、走行機器等の各種テストをおこなって、軽量セミモノコックボディー カルダンドライブの新性能車、ラビットライナー旧5000形の登場へとつながってゆきます。他の車種より早く駅についてしまうために、定刻前に発車せぬよう異例の注意喚起が出ました。
その後、増結用に増備された5200形までは、冷房装置がありませんでしたが、5200形の前面デザイン及び基本窓配置を継承した5500形は日本初の特別料金のいらない冷房電車として好評を博しました。その好評ぶりに甘んじず、名鉄は7000形パノラマカー開発に着手します。
(模型写真左側の車輛が5500形。屋根上にずらりと並んだ四角い箱が冷房装置で、国鉄特急「こだま」とケーシングが違うが中身は同型)
この頃の5000番台特急車を総称して SR(スーパーロマンス)車 と呼んだりしておりました。5500形は冷房装置分の重量増加のため
1955年登場の5000形ほどの俊足ぶりにはなりませんでしたが、1961年登場のパノラマカーは、台車が空気ばねのモノに変わったほかは、
走り装置に関して5500形から大きな変更点がなく、併結しての運用もしばしば見られました。昭和末期の急行型として登場した
(New)SR車こと、5300形と5700形、さらにその先1987年登場の 1000形パノラマスーパーも床下機器の機能構成は変わらず、
特急に特別車と一般席車が出来た最初の頃はパノラマスーパーの一般席車両の製造前で、1000形と5500形との併結運用もありました。
パノラマカー登場の頃は、スカーレットはパノラマカーのみでしたが1965年頃より次の特急色(パノラマ車以外)への模索が始まり、
1970年頃にパノラマカーと同じ名鉄スカーレットに落ち着いて、「紅い名鉄電車」といったイメージが形成されてゆくのです。
5500形の中間車が全廃となって残る先頭車の動向に注目が集まった2003年に、復刻旧塗装となって(Old)SR車の終焉を飾りました。
6000形については、登場時より名鉄スカーレットの単色塗りで、白帯が入ったのも蒲郡線運用が最初です。今回のツートンカラーも
6000形車輌にとってはまさに最初、 そして最後の機会となるでしょう。