工作に要する時間の事など。

ホームページを見ていたら、モビルスーツのプラモデルを発売するまでに、Zガンダムの時代の可変MSは、金型設計にしても時間がかかるという話が載っていて、そういえば、KATOの Hi SE 新発売の頃にCAD/CAM の宣伝を加えており、それまではドラフターによる手書きである事を想うと、大したものでありましょう。今は普通に使われている関節部のポリキャップも、初製品化は 今はなき『 LS』(モデルガンを意欲的にプラモ化していた。)のマクロスシリーズだったと記憶している。NMRCの Oさんは、Tomixの普及用ハンドルタイプのパワーユニット(現在絶版)も、レバーがたらたらになって使い物にならなくなる と言っており、某社のカプラーのように、いらぬところでそっぽを向くこともあり、「可動」はウレしくともやはり経年の事も考えなくてはいけない。

『フランジウェイ』は、ポイントのフログ部分などで、線路の切れ目に車輪が落ち込んで脱線することのない様に、下から車輪をフランジを使って落ち込まぬように支えて通すやり方で、模型と比較にならないフランジ高の実物では使われていない方法です。今回ナローなどで、小径車輪の市場への流通に広がりが出たが、径の小さい車輪には特に有効で、海上コンテナ積載のコキ200形もカーラックコンテナの試作車コキ71 も、積載物の高さの都合から小径車輪を採用している。ビッグボーイのNゲージの初製品化は1980年代初めの頃のリバロッシ製品なのですが、この先台車の車輪がまた小径で、時期のほぼ同じユニトラックのポイントにフランジウェイによる脱線防止措置が採られていたところは、輸出も考慮された当然の配慮だったのかもしれない。ちなみにリバロッシはイタリアのメーカーですが、生産は主にバックマンで、アメリカ型蒸気機関車の製品が豊富でした。TMSのミキスト欄に、元はガレージメーカーとして出発した。とあった。1990年頃はアニメモデルのガレージキットが華盛りとなって、その中の『海洋堂』は、拠点を中国に移して食玩に活路を見出し、「海洋堂ミュージアム」が誕生するほどの大手メーカーになった。手元には、OVAアッセンブルインサート『アニメフィギュアのまろん』があるが、これは海洋堂が駆け出しの頃に出したソフトビニールのガレージキットである。こういった商品を、当時アニメオタクと嫌われた連中が高価でも商品を求めてメーカーを買いざさえたから、今日の隆盛がある。昔からホビー業界はマニアが支える世界ではなかったか? Nゲージ車輛の零細エッチング板キットメーカーも、大体同じような時期に幾つか生まれたが、「ガレージキット」の名が示すように、「大資本ででっかい工場」そんな訳にはいかない世界である。多くは趣味人が副業的に作っている程度で、初回生産分の投資が回収できずに、一発屋で終わることもまれではなさそう。私の 40年以上の模型歴は、だらだらと惰性でやってきたものではありませんから、このような事情も知っているわけです。 永く観ていると、アニメ関係はテレビやメディアミックスなどで大きく花開いたりするけれども、鉄道ものは大人しく終わりがち。その分、ガイナックスの具合に巨額の負債も抱えなくて済むのかもしれないが…。「ハイリスクハイリターン」と言っていたあの頃のアニメ友達は、相変わらず元気だろうか? 水島氏の漫画「ドカベン」でも殿馬(とのま)が好きで、たがみ氏の「軽シン」でも絵のアート風のところが好きでした。系統的には「米米CLUB」は軽シンの後継のような位置に私の中ではなっていた。体がひ弱でキャプテンハーロックは無理だから大山トチローにあこがれていたが、実際はそれ以前から科学少年風の志向で、作る品物(のカラー)は派手でも、きらびやかな舞台とは縁遠い。地べたを這う学生生活でアニメ方面の業界にも弟一人は何とかなるかもと送り出したものの、私も加わった二人を将来の生活に惑わせる訳にはいかなかったので、踏ん切りの無い半端な見た目のモデルマニアになっている。ゲーム業界の高橋名人(うそだろ)のような人物広告塔には不向きだし、好きじゃないのでやれない。そういった部分で、役者志向の方たちとのかかわりには後悔がいっぱいです。

 アニメキャラのソフトビニールキットを見て、「又こんなよそ事へうつつを抜かして…」なんて想われるかもしれないが、昭和最末期の同世代の会員は鉄道ものへの興味を失っており、私の鉄道模型に付き合ってもらう代わりに、相手のアニメ趣味にも付き合いましょう といった交換条件の一環でもあり、また、女性への関わり方の下手な鉄道ファンよりは、異性と一緒に楽しめるアニメ関係のほうが、若い仲間には酸素のように必要なものと思えた。今でも、鉄道好きは良いとしても高じて崇拝するようではいけないと思っているし、それは女性に関しても、アイドルを女神のように崇拝するのもよくないと思っている。松本零士氏の漫画の四畳半下宿の大家のおばあさんのほうが、松本美女よりもいざという時の頼りになりそうな信頼感が気持ちを和ませるものであります。清志郎の詩に、「きみかわいいだけだね~それだけだね~」夏場クーㇻーの無い金型製造現場で10時間近く働いて、帰宅したら模型を作る生活には、美女相手など疲れるだけである。とっくの昔の中学時代に付き合いをあきらめた。それなりに労して、自分を納得させたのである。

アニメの趣味が高じて スタジオ「ガイナックス」ができたり、趣味のアニメモデル作りが高じて食玩のトップメーカーになった「海洋堂」のように、趣味を生業にする動きは、「遊びか仕事かわからん」みたいに不真面目にとらえられがちだが、実は個人のラーメン店のように、またはそば打ちが高じて蕎麦屋さんを開くとか、飲食店の開店の経緯では珍しくなく、高校の同級生でも喫茶店経営の息子さんがおられた。当時の T 市の喫茶店の数は異様に多かった。ホビー業界の重鎮の鉄道模型の世界では、ガイナックスの15年も前にHOゲージの製造メーカーが、ファンの手で創業という動きが見られるが、それは学生運動やヒッピー、長髪の軟弱モノといったふうで軽蔑された若者の時代ではなかったか? HOゲージのブラスキット組みなんて、軟弱モノどころではなく、がちがちの硬派ですよ! 現代でも、見識の乏しい偉い人が、不真面目の印象とレッテル貼りをして、将来性を厳しくつぶしてしまってはいないですか? いったいどこをどのように鍛えたら、好きでもない仕事の起業と経営を順調に進められるのでしょうか?