名古屋模型鉄道クラブ諸先輩のHO作品では、内装を作り乗客人形まで載せることが普通に行われておりました。当方もデンマークの木造レールカーTRYANGEL を作る際に、簡単でもいいから内装を作ろうと考えて、屋根を外せる構造として、座席の間の穴よりドライバーを下方から差し込んでネジを回す方法を採用(写真は撮影のために一時的に梁を外しています。)、屋根の外観を損なわずにネジ止めができる形になっています。パンタグラフやビューゲルなどの集電装置がある場合には、それでネジの頭を隠すことができたりするので、脱着ネジの頭を外側に出す事も扱いやすさの点ではよくわかる話であります。路面電車の屋根の脱着方法で、外側にねじの頭が出る方法を採用したものの、ビューゲルをつけても横から見た時にネジの頭を完全に隠すことは難しく、アルモデル製品のビューゲルの取付穴の径を観ると、どうもネジ穴を切りやすい具合になっているようで、案外当方のレールカーと同じに床板側からネジ止めをする仕様で考えられているのかもと、組立てながら感じるのです。実行は、工作精度が出せるかにもよって、こちらがきっちり面倒を見る話ではやはり外側から留める方が、通常指導だろうと思います。
◆ 蒲郡線と西尾線の末端区間の存続のために、西尾市と蒲郡市が協力して取り組んでいます。名鉄5000形以降の(Old)SR車
での装いが印象的だったツートンカラーの旧特急色が、西尾市制70周年を記念して 6000形に施され、西蒲線で走行をはじめました。
この旧特急色の初 お目見えは 昭和26年の3850形(模型写真の旧塗色右側の車輛)からで、その4両編成版ともいうべき3900形の
第4編成にて、走行機器等の各種テストをおこなって、軽量セミモノコックボディー カルダンドライブの新性能車、ラビットライナー旧5000形の登場へとつながってゆきます。他の車種より早く駅についてしまうために、定刻前に発車せぬよう異例の注意喚起が出ました。
その後、増結用に増備された5200形までは、冷房装置がありませんでしたが、5200形の前面デザイン及び基本窓配置を継承した5500形は日本初の特別料金のいらない冷房電車として好評を博しました。その好評ぶりに甘んじず、名鉄は7000形パノラマカー開発に着手します。
(模型写真左側の車輛が5500形。屋根上にずらりと並んだ四角い箱が冷房装置で、国鉄特急「こだま」とケーシングが違うが中身は同型)
この頃の5000番台特急車を総称して SR(スーパーロマンス)車 と呼んだりしておりました。5500形は冷房装置分の重量増加のため
1955年登場の5000形ほどの俊足ぶりにはなりませんでしたが、1961年登場のパノラマカーは、台車が空気ばねのモノに変わったほかは、
走り装置に関して5500形から大きな変更点がなく、併結しての運用もしばしば見られました。昭和末期の急行型として登場した
(New)SR車こと、5300形と5700形、さらにその先1987年登場の 1000形パノラマスーパーも床下機器の機能構成は変わらず、
特急に特別車と一般席車が出来た最初の頃はパノラマスーパーの一般席車両の製造前で、1000形と5500形との併結運用もありました。
パノラマカー登場の頃は、スカーレットはパノラマカーのみでしたが1965年頃より次の特急色(パノラマ車以外)への模索が始まり、
1970年頃にパノラマカーと同じ名鉄スカーレットに落ち着いて、「紅い名鉄電車」といったイメージが形成されてゆくのです。
5500形の中間車が全廃となって残る先頭車の動向に注目が集まった2003年に、復刻旧塗装となって(Old)SR車の終焉を飾りました。
6000形については、登場時より名鉄スカーレットの単色塗りで、白帯が入ったのも蒲郡線運用が最初です。今回のツートンカラーも
6000形車輌にとってはまさに最初、 そして最後の機会となるでしょう。