会員の一人、Wさんが、かねてより製作中だったHO(ホントは16番)ゲージのパノラマスーパーの先頭車を完成させたそうです。 Sさんは、セクションの製作に入りました。
岡崎南公園は、改修工事に入り、貴重な名鉄の連接車は行く末が心配されます。1952年に2両のタネ車から改造により誕生しました。ボディーは半鋼製で、モ800形やモ850形(流線なまず)と同様の作り。タネ車の写真は日車の車輌史に掲載されています。車体のみでいえば、日本初の連接車である京阪の「びわこ号」からさらに、10年近く古いタネ車で大正末期の製造です。日車のD台車を履いて外観の様子はびわこ号と近く、並べても年代の差をあまり感じません。戦時下の混乱で、車輛の新技術の開発投入が停止状態になって、欧米諸国に後れをとっていた日本ですから、終戦間もないころの改造ならばやはり、びわこ号と走行機器関係でも年代的に大きな変化がないのかもしれません。下の画像2枚目が、NMRC名古屋市科学館運転会(2013年3月)におけるびわこ号(Nゲージ)。故・白井 昭 氏が、「電車の保存は蒸機に比べると例が少なく、電車の歴史が埋没してしまいそう…」といったお話を雑誌記事で読んだことを思い出します。蛇足ですが、EF58あたりの旧型電機の先台車を見た欧州技術者に、「日本はまだ先台車なんて不必要なものを使っているのか。」といわれてしまい、EH10で先台車の無い電気機関車を登場させた経緯があったそうです。模型的にゃ面白い処。びわこ号横の車体全体の写っている赤白の電車は、モ510丸窓に似ているけれど、木造車に鋼板を貼ったモ520です。丸窓がないのと、ボディー下のフレームが見えている点が異なります。