その10 ガンダム人気の後日談

機動戦士ガンダムは、1979年が初回本放送なので、来年で45周年となる。当時の人気のアニメと言えば、宇宙戦艦ヤマトがブームであったこともあって、松本零士作品に注目が集まるものだが、ムーミンを皮切りにカルピス名作劇場(だったか)の日曜夜の時間枠では「アルプスの少女ハイジ」「母を訪ねて三千里」「赤毛のアン」「南の島のルーシー」「あらいぐまラスカル」「小公女セーラ」(記述は放送順ではありません)など、後々語り草になる作品が多く登場し、NHKでも、「未来少年コナン」や放送局は失念したが、「ニルスの不思議な旅」など、非常に質の高く幾度もの再放送に耐える作品が登場しています。鉄道ものの番組できまって「銀河鉄道999(映画版)」の主題歌が流れますが、その前にロボットものでいえば「惑星ロボ ダンガードA(エース)」も手掛け、「SF西遊記 スタージンガー」、「メーテルリンクの青い鳥 チルチル ミチルの冒険旅行」「みつばちマーヤの冒険」70年代後半に小学生だった世代は、テレビを見るといえばアニメを探すタイプの人が普通にいて、そのメイキングを見たりして制作者の側を志した人たちが、今の人気作品を生み出したり、フィギュア産業を支えていると言って間違いないと思います。ドリフの8時だよ 全員集合は終了していたし、その後の「バカ殿様(しむらけん)」は当方は一切見ていなかったです。

2024年がやってきて早々に、災害やら大事故で波乱に満ちた幕開け。東日本大震災の時にも、忍たまの「100%勇気」や「あんぱんまん」の楽曲が被災者を勇気づけたが、それらの唄が電波にのったのはバブルのあとの話であって、我々の子供時代には存在していない。小学生の時分でも、八代亜紀の「舟唄」も聴いたし前川清が唄う「東京砂漠」も聴いていた。フォークソングの「神田川」「なごり雪」「旅の宿」テレビから流れる「ああ 岸壁の母」だってフルコーラス聴いたりしており、「まよいみちく~ねくね…」とか、「カモメが撮んだ日」や、三味線片手に「酒もってこい!」と男性が唄えば、「かえってこ~いよぉ~」と女性も三味線で歌い上げる。間奏の三味線の音色にどれほど魅了されたことか。原田真二の「タイムトラベル」で住めなくなった星を後にして、「水色の雨」「ポーラースター」「パープルタウン」で歌声で突き抜けるように明日を目指す。松崎しげるや布施明の熱唱に力を得る気分。そのような中からでは、たのきんアイドルらの唄う恋愛ソングは夢中になれず、映画「ガンダムⅡ 哀 戦士」あい、悲しみの哀、と雄たけびを上げる歌が、一番人気になったりするのであります。ザ・ベストテンにアニメソングが出てくるようになると、かつてのフィンガー5やらピンクレディーで売りに売ったアイドル路線の人たちは、アニメソングになるとファンの性質がかなり違って、正直戸惑ったのではないでしょうか?「国民的アイドル」という言葉を使った「斉藤由貴」さんが、「谷山浩子さんの大ファンで…」「百億光年はるか彼方の君を信じる…」コミックファンや漫画家の間で、静かな人気だった谷山さんが一気に脚光を浴びて、「恋する女たち」の主題歌の楽曲を提供してます。

学園教師ものでいえば、個人的には「おお!ヒバリ」が好きで、代名詞的な「金八先生」はほとんど見ていない。弟が「(一緒に)あそんで~。」とうるさいので、食事の後さっさと寝てしまって、1時とか2時の真夜中に起きて、誰の邪魔もないところで勉強する。鉄道模型趣味誌を読んで、調べごとなどもするうちに、大体何年の何月号にどんな記事があったか覚えるほど。国家公務員の乙政潤氏が「折り目正しい日本語」と、500号記念の時に誌面の記述を評しています。田舎の夜、田舎でなくともベッドタウンの夜は早く、自動販売機の飲料くらいしか、買うことができない。近所のコンビニエンスストアは1985年過ぎに出来て、夜10時で閉まる。外へ出ても面白みがなく、本の世界が面白い。ヒットソングがわからず、ホテルカリフォルニアやら、メンアットワークとか、赤いランプの終列車 とか、周囲の中学生のメジャー路線からは完全にずれていました。

アステカ文明の遺産が活躍する話「太陽の子 エステバン」で、仲間の死に面した主人公が悲しみにくれるそばで、主要キャラクターの中年男性が必死に明日の行く道の方向性を考えている。「あの人は悲しくないの?」と問う主人公に、「哀しくないはずがないでしょう、あなたより何倍も悲しいはずなのよ。打ちのめされないために、考えを巡らせて気を紛らわしているのでしょう…。」これもどこかの漫画だったか、ミカン箱(昔は木製だった)に木の板を渡した机でも、勉強はできる!食堂のビンケースに板を渡してもよい。卒業式でうたう「蛍の光」はほたるの火や雪明りで本を読んだりの勉強の思い出を唄う。雪国でなければ、月明りもある。中学時代の女友達には、文字を見つけたら片っ端から読む。と、学内のプリントに書いていた。生まれたころから電子端末があって、デジタル学習が広く行き渡った今の子供時代は当方にはよくわからないことも多い。コンピュータは電子計算機と日本語表記されるが、通信機能を備えていても、「機械を操作するのは人間」

先日亡くなられた「山田太一」氏の「想い出づくり」のラストシーン主人公ら三人の女性が集まって話をしている。母になった三人は、自分の子供のおいたを叱る―――自分たちの遠くない未来の姿。古手川祐子さんのナレーションが重なる。「でもまだ 今は静かで…」録音テープ(私が録音した。)を掛けると、父方の祖母はじぃっと目をつむって聞き入っていた。のちの山田太一エッセイ集には、声の劇場 として、シナリオのワンシーンを短く切り取って掲載するぺーじがあり、ドラマを思い出す。あの祖母は、バブル悪夢の後「はやく(自分が)死ねばいいと思って(いるのだろ)!」としばしば口にするようになってしまって、哀しく、困惑した。 他の先進国から、「エコノミックアニマル」と評された日本人。10年くらい前に予告編で観たシナリオライターを目指す若者の挫折の映画で、「企画書 タイトル:抜群のセンス テーマ:すごいテーマ 内容:神の領域 」なんてPC原稿に打ち込んでいるシーンがある。これは有名になってお金を稼ぎたいという人物の意気込みであって、ストーリーではない。描きたいテーマが先にあって、その手段として小説・シナリオ・同人誌等がある。お金が欲しいとかを、紙に書きなぐってもドラマなどの作品として成立しない。起因と結果が逆でないか?

インターネットの普及はウィンドウズ95で、加速度的に広がって、それがスマートフォンの登場で、どこでいても使えるようにと、一人一端末の体制になろうとする中、大きな災害で通信が途絶えてしまった被災者の方も今回大勢居ると思います。でも、私たちの若い頃はそもそも電子端末が存在していなかったし、その中で大きく人生の華が開いた人も大勢います。市営住宅に住む物理部の先輩が、お手製のプラネタリウムを作って、子供向けの科学誌に発表、文化発表会の物理部の展示でのプラネタリウム上映をやっていた。製品が登場するのはそのあとです。ちょっと変わった感じの方(というより個性的というべきか)でしたが、高校の部活で指示されて作ったのでなく、天文が好きで自分で考えて作っている。おカネの為ではない。私は、中高生時代の模型作りで、Oさんの後任のK主任より、「時間がかかってもよいから、(レイアウトを)良質な作品として作ってくれ」という指示があり、その使い方(そもそも趣味の人が楽しみとして、製作の苦労を乗り越えて完成させるもの)も含めて「よいもの」とはどういった、どんな様子を指すのか?を探し求めて、新作や新製品を導入するほど豊かな環境になく、住む地域の生活環境に合わせてどのようにテーマを崩さずに製作できるかを考えたもので、時代が下れば時代遅れになるのも仕方のないことです。経済活動では、CADが入った設計の職場で、ドラフターで手書きの作図を行っていたそれまでの主任が仕事を追われた現実があった。しかし、CADは電気が無ければ動かせない。

中学の頃に、電池なしで受信して聴こえるラジオを見せられて、驚いた。被災地の学生の皆様。電子端末がすべてではない。今まで肌身離さず持っていた端末を失って、哀しく途方に暮れるかもしれないが、使えないときは使えないなりに、やっていくしか仕方がない。自分たちの頃は、無いのが当たり前だった…。と、月並みな話だけど、被災した学生の方々へ、せめてもの自分のできるエールをおくりたい。それが、この文のテーマです。