クラブ活動で何人ものファン大勢で愉しむ時間を確保する話。 5年くらい前だったか、某こ〇もの国での大規模運転会の準備の時に、線路のジョイント部品がさっぱり手に入らず、危うく模型列車の走行不能で運転会がオシャカになりかけた事があり、継ぎ目にゼムクリップを切って沿わせてはんだ付けして急場をしのぎ、日程を乗り切ったのですが、こんな公開運転の実施のピンチは幾度となく経験しており、乗り切れれば良いとは限らず、神経は磨り減るし、どこかからの悪意ある仕打ちを感じて精神的にはダメージも皆無とは言えない。 私が子供のころに会場で大興奮で見つめた『NMRCフェア (名古屋市科学館で開催)』の、会員による準備の際には、「大人の(大人による)文化祭だ!」といった想いで皆さん準備に精を出されたことが、濱島氏のホームページにて思い出として語られており、私の鉄道模型の原点は当時のNMRC会員の愉しみ方や趣味活動への姿勢にありますから、普通の個人のマニアは、「実績」として コンテストやコンペティションにてどれほどの栄誉に輝いたのかを語るところですが、私の場合は『けやきお〇ちゃ博』を皮切りにどれほどの一般の観客の眼前にて模型列車運転、準備や撤収を含めて「大人の小規模文化祭を永く数多く こなしてきたか…。」といったところにあり、特徴である訳です。科学館の改装前(生命館と理工館があった頃)では理工館5Fで毎月のように公開例会を実施して、推進派の会員の中には、「イベントホールでやるよりもいろいろなお客さんの目に留まって面白かったよ」と語る人も居ました。公開運転会で直接観覧のお客さんの反応を感じ取れる最前線に、長期にわたって身を置いた経験と実績は、線路配置の考案や準備の手際と共に30年の模型歴部分に刻まれていて、ある意味では得難い財産(? お金の事ではありませんよ)となっている。 「Nゲージで人気の出たやり方を、HOに反映させてNゲージャーにとっつきやすくしてやれば、HOのユーザーを増やせる?」 う~ン 判らぬ話ではないけれど、実はそれって、1990年代にTMSが努力してみたけれども効果を上げることができずに市場のシェアが逆転した経緯があんねんなぁ。某クラブの現会長は本を読まないから知らんかもしれへんけど。 販売のお店での売れ方の違いについて、お店の人が想像する理由が、ファンの心情とどの程度寄り添えるものだろうか?TMSのミキストを読むほどの80年代のNゲージャーは、NとHOの魅力の違いや愉しみ方の違いについてそれなりにしっかりと把握されていると思うし、地方に於いては自作のための部品の取り寄せすらもHOではできないとあっては、初めから選択の余地はなく、工作力の必要なHOゲージの愉しみは買い揃えて運転して遊ぶNゲージャーには伝わりづらく、金額的にも個人でやるので安く揃うほうが良い…。なぁんて普通に考えるでしょ。華々しい特急車ばかりでなく猿投駅に停車中の東芝標準型電機のデキ600形をまじまじ見つめる小学生ファンにとっては、輸入電機やその流れをくむ私鉄電機の武骨なブラスモデルなんて、かっちりとした出来具合にほれぼれしてしまうんですけど…。でも、「HO蒸機はブラスで残る」といった山崎主幹の予想も当たらなかったから…ブラスモデルにほれぼれなんてもう、科学館で開催の「わけあって絶滅しました 展」の「絶滅直前の種」なのかもねぇ~。テレビで聴いたムーミンの特徴は、ヒーローが出てきて悪い奴をやっつけるStoryではなくて、森や川辺でさまざまな体験をして、ただいま!と家に帰ってくるおはなしです。って、言ってました。こどもの頃に読んだレイアウトの製作記には、一日の終わりに、ウィスキーグラス片手に情景の中を往く模型列車を眺めるのが至高のゆったりとしたひとときの時間~そういうことに感じ入った模型歴も、趣味に深みをもたらすかしら? おっと、危うく書き忘れるところでした。HOゲージやNゲージで作品を生み出す工作力や技術力のあるファン、NMRCフェアのような一般客向けの公開運転会や運転体験コーナーなどのイベントを実施する実力のあるファンらが、「ヒマがない~時間がない~」と悩むのと、単純に自宅で一人購入した模型を走らせて遊ぶだけの、外との関わりを遮断するタイプのファンの「ヒマがない、時間がない」と嘆くのは、質的に大きな違いがある。コンテストにしても、HO部品の手に入らないとか大きな困難のある地方在住者ファンには、HOスケールのコンテストへの出品が気の遠くなる程多大なプロセスが必要になるわけで、作品評価者もその点を含みおく感覚が無ければ、例えば優秀な作品作りに3Dプリンターが必須となる世界では、個人が工作のために購入するPCや製作ソフト・装置の選択の時点で作る前に勝敗が決まる「出来レース」に成りかねないし、高位入賞のための的確な投資ができれば必然として受賞ができる世界になるような気がする。少なくとも3Dプリンターを導入できないファンには受賞の可能性が極めて少なくなる。 送迎の貸し切りバスのチャーターできる経済力のない運動部には、地区ブロック大会への出場が不能になるのと同じ? 鉄道会社を名乗りながらやむなく20世紀に鉄道路線を廃止せざるを得なかった地方交通会社は、マイクロバスのレンタル料金で貸し切りバスを提供できる経済的余裕なんてあるはずない。ニュースの初報から「運転士はボランティアだ」と、2種免許を持たぬ運転士では営業運転不可なのは交通事業者の常識的大前提。貸し切りバスの料金でレンタカー手配のような暴利をむさぼっていては詐欺だろうと思うけれど、従業員に給料を払って食べさせなければならない鉄道会社が、ボランティア運転手を紹介したからと言ってどんな経済的利益がある話なのだろうか?詐欺とは、顧客をだまして不当な利益を得る話だが、鉄道会社がボランティア運転をお願いする話には不当な利潤や経済的うまみが見当たらないではないか?これはむしろ、カスタマーハラスメントや不当要求がなかったかという点も、しつねんしてはいけないのではない? 中部地区でもそこらじゅうで路線バスが自治体の運行へと移行して、民営バス会社は撤退してて、公共交通は懐事情がすぐれないことは、生徒の就職先を探す教員には、多少なりとわかってるハズなのでは?
◆ 蒲郡線と西尾線の末端区間の存続のために、西尾市と蒲郡市が協力して取り組んでいます。名鉄5000形以降の(Old)SR車
での装いが印象的だったツートンカラーの旧特急色が、西尾市制70周年を記念して 6000形に施され、西蒲線で走行をはじめました。
この旧特急色の初 お目見えは 昭和26年の3850形(故・足立健一氏製作のOJゲージ模型写真の旧塗色右側の車輛)からで、その4両編成版ともいうべき3900形の
第4編成にて、走行機器等の各種テストをおこなって、軽量セミモノコックボディー カルダンドライブの新性能車、ラビットライナー旧5000形の登場へとつながってゆきます。他の車種より早く駅についてしまうために、定刻前に発車せぬよう異例の注意喚起が出ました。
その後、増結用に増備された5200形までは、冷房装置がありませんでしたが、5200形の前面デザイン及び基本窓配置を継承した5500形は日本初の特別料金のいらない冷房電車として好評を博しました。その好評ぶりに甘んじず、名鉄は7000形パノラマカー開発に着手します。
(模型写真左側の車輛が5500形。屋根上にずらりと並んだ四角い箱が冷房装置で、国鉄特急「こだま」とケーシングが違うが中身は同型)
この頃の5000番台特急車を総称して SR(スーパーロマンス)車 と呼んだりしておりました。5500形は冷房装置分の重量増加のため
1955年登場の5000形ほどの俊足ぶりにはなりませんでしたが、1961年登場のパノラマカーは、台車が空気ばねのモノに変わったほかは、
走り装置に関して5500形から大きな変更点がなく、併結しての運用もしばしば見られました。昭和末期の急行型として登場した
(New)SR車こと、5300形と5700形、さらにその先1987年登場の 1000形パノラマスーパーも床下機器の機能構成は変わらず、
特急に特別車と一般席車が出来た最初の頃はパノラマスーパーの一般席車両の製造前で、1000形と5500形との併結運用もありました。
パノラマカー登場の頃は、スカーレットはパノラマカーのみでしたが1965年頃より次の特急色(パノラマ車以外)への模索が始まり、
1970年頃にパノラマカーと同じ名鉄スカーレットに落ち着いて、「紅い名鉄電車」といったイメージが形成されてゆくのです。
5500形の中間車が全廃となって残る先頭車の動向に注目が集まった2003年に、復刻旧塗装となって(Old)SR車の終焉を飾りました。
6000形については、登場時より名鉄スカーレットの単色塗りで、白帯が入ったのも蒲郡線運用が最初です。今回のツートンカラーも
6000形車輌にとってはまさに最初、 そして最後の機会となるでしょう。
当クラブは製品の販売あっせんなどいたしません。金銭的なもうけを目的としないから、非営利のマニアゆえのクラブです。その点に合点がいかぬ人とでは、集まって活動の時間を過ごすことはできません。お金を得るために誰にでもできそうな方法で作るのは生産です。趣味の模型製作というのは、自分のために作るものです。









